A・フォルトゥナート国籍 イタリア 生年月日 1971年7月26日 出身地 サレルノ ポジション DF ・ MF 身長・体重 -cm・-kg 個人タイトル なし ワールドカップ なし 所属クラブ 1988-91 コモ 1991-92 ピサ 1992-93 ジェノア 1993-95 ユベントス 生きていれば32歳、SB、CBでは油がのっていたかもしれない。 実際にプレーしているところを見たのは数試合しかない。 キャリアの絶頂期はジェノアに二回目に戻ってきて、 ユベントスに行くまでである。 当時はセリエAで最強のSBの名を馳せていたのは ACミランの『パオロ・マルディーニ』であった。 メディアは年齢の近い二人をライバルとしてとらえていた。 ポジションもまた二人とも左のSBであった。 前者は落ち着きがあり、的確、堅実でパワフルなプレー、 もう片方はも疾風の如く左サイドを駆け上がるプレーが目に付いていた。 ユベントス時代、 監督の『トラパットーニ』は彼を大のお気に入りの一人にしていた。 93年9月、『アリーゴ・サッキ』代表監督にもアズーリに召集され、 対エストニア戦で代表デビュー。 交代選手はもちろん『パオロ・マルディーニ』。 この試合でのバックラインは、右から 『アントニオ・ベナリーボ』『フランコ・バレージ』『アレッサンドロ・コスタクルタ』『アンドレア・フォルトゥナート』 であった。ここまでは順風満帆。 ユベントスではシーズン34試合中33試合に出場。 ここからというときに94年5月。 W杯アメリカ大会を戦うメンバーに彼の名前は無かった。 彼は『急性リンパ性白血病』にかかった。 そして95年4月25日午後8時帰らぬ人となった。 彼の死から1ヵ月後ユベントスは9年ぶりのスクデッドを獲得する。 私はこの年あたりから世界のサッカーの特集が多い雑誌をよく買っていた。 お目当ては『ロベルト・バッジオ』だったのだが、 そのあたりの年のユベントスでは、 左サイドを鬼のようなスピードで上がる彼を WOWOWのセリエAの宣伝や雑誌などでよく見かけた。 また、この当時のバッジオの手を上げてる写真の後ろには 大概彼がいた気がして、すごく印象に残る選手でした。 ジャンル別一覧
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